クィーン・メリー「RMS Queen Mary」は1936年5月27日に就航。 毎週リバプール〜ニューヨーク間の北大西洋定期航路に投入された客船です。
クィーン・メリーの建造は1930年にスタートしましたが、1931年12月の世界恐慌でキュナード社は資金不足になり、建造が停止してしまいました。
英国政府に援助を求めたとき、経営不振のホワイトスターラン社を吸収することの条件で認められ工事が再開。1936年5月27日に処女航海にこぎつけました。
クィーン・メリーはライバルのノルマンディと比較されますが、ノルマンディのスマートな流線型デザインに比べ以前からの客船スタイルを踏襲。
室内もアールデコ調の落ち着いたデザインでした。
乗客の人気は落ち着いた室内装飾と船足の快速ぶりでクィーン・メリーのほうが人気が有ったようです。
1936年8月ノルマンディからクィーン・メリーは東回り航路で平均速力30.63ノットを記録して、ノルマンディからブルーリボン賞を奪い取りました。
しかし、その後ノルマンディは機関の改装を受け1937年に再びクイーン・メリーからブルーリボン賞を奪い返します。
1938年に東回り航路でノルマンディに奪われていたブルーリボン賞を、平均速力31.69ノットを記録して、再び賞を奪い返しました。
1939年9月にニューヨーク港に到着した際に第二次世界大戦が勃発、ニューヨーク港に係留。その後クライドバンクに移送され軍隊輸送船用に改装を受け軍に徴用。
姉妹船クィーン・エリザベスと共に一度に15.000人の兵士を輸送して活躍。
大量の兵士を乗せて洋上を高速で航行するクィーン・メリーは、護衛が付かなくてもU-ボートでは襲撃が不可能なほどの高速力で突っ走りました。
戦時中船体を灰色に塗装、視認しにくい姿に「灰色の幽霊」と呼ばれていました。
1942年12月4日アイリッシュ海で護衛の軽巡洋艦キュラソーに全速力で航行中に衝突。キュラソーは真っ二つに割れて沈没(死者388名)。
しかし、英国政府からクィーン・メリーは何があっても洋上での停船は禁じられていたので、他の船に救助を任せてそのまま航行を続けたそうです。
第二次世界大戦が終結すると、1946年9月から1947年7月まで客船復帰のため工事を受けました。改装されて客室数も増えています。
改装後1950年代まで再び北大西洋定期航路に復帰。しかし、このころから航空機へ乗客の関心が移り乗客が減少。
QE2の就航もあり、クィーン・メリーの人気も薄れたため、キュナードは1967年に引退を決定。
売却も検討されましたが、アメリカ・ロングビーチでの保存が決まり、静態保存され係留されています。
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