ミケランジェロ「SS
Michelangelo」
は、姉妹船 ラファエロ「SS
Raffaello」 と共に Italian
Line によって1965年に建造されました。
運航は主として北大西洋航路で、この定期航路に就いた最後の客船の一つでした。
デザイン的な特徴は、ファンネルに付いたフィンで、これが排煙を後部甲板に落とさないための工夫で、効果があると認められました。
ただデザイン的には不評のようです。
もう一つの特徴は、3等船客の船室には舷窓が全く無いということです。船体のデザインを優先した。と言うことですがこれも不評でした。
サービスを開始する前の試運転で、プロペラなどからの振動が認められ、プロペラの交換などを行った試験航海で31.59ノットを記録しました。これは当時5番目に早い
スピード記録です。
1966年4月まは大西洋上で嵐に遭遇、大きな波で船の前部構造物が壊され、2人の乗客が海に流され、一人のクルーが死亡。50人以上の乗船客が負傷しました。
事故後、上部構造材はアルミ合金から鋼板に変更をされました。同様に他の姉妹船などにも変更がされました。
1972年5月映画監督のアルフレッド・ヒチコックはニューヨークからこの船に乗船してカンヌ映画祭に参加しました。
1973年になると、航空機との競争が激化して北大西洋定期航路の乗船客が激減。 そのため夏の期間はクルーズなども行いました。
しかし、建造当初から3等船室には舷窓がないことなどが災いして、このようなクルーズには適さないことが判明。大幅な改装が必要と認められました。
1975年に7月に最後の大西洋横断航路を終えた後、ミケランジェロは運航を停止。 イタリアン・ラインは船の売却を決定。
1976年にイランに売却が決まり、この船を洋上兵舎として使うこととになり、1977年にBandar
Abbasに運ばれました。
その後1991年に老朽化により廃棄されました。
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