日本郵船が昭和初期、欧米などの貨客船就航競争に対抗する為6隻の新型客船を投入。
サンフランシスコ航路に浅間丸・龍田丸・秩父丸を。シアトル・バンクーバー航路に氷川丸・日枝丸・平安丸を投入しました。
氷川丸の名前は埼玉の氷川神社から名づけられたもので、船内神社の神棚は氷川神社が祀られています。
シアトル航路は荒天が多く、それに耐えるため外装甲厚を通常10mmの所、15mmとし、船底も客船としては珍しく2重船底としました。
無骨なほど頑丈に作られたため、戦時中病院船として使用された時、3度も機雷に接雷するも生還。戦後も生き残りました。
戦後は連合国の南太平洋艦隊日本船舶管理部の管理下に入り、1950年まで邦人の引き上げや在日外国人の輸送、北海道航路、不定期航路に就航。
1950年から再度シアトル航路定期船に就航しました。その後老朽化のため1960年10月3日神戸入港を最後に引退。 1960年12月21日に除籍されました。
1961年に静態保存が決まりプロペラが外され、横浜山下公園に係留。 「見る船・泊まれる船」として、一時ユースホステルや結婚式場などとして使われていました。
当時持ち主だった氷川丸マリンタワー鰍ェ入場者の減少で手放したのを2006年12月再び日本郵船に管理が移り、当時の姿に近く改装を行いました。
2008年4月25日リニューアルオープン。一般公開を再開現在に至っています。
**氷川丸はサービスと料理が評判となり、数々の著名人が乗船。 (チャーリーチャプリン・秩父宮夫妻・嘉納治五郎・宝塚歌劇団
等々) **
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