日本郵船が昭和初期、欧米などの貨客船就航競争に対抗する為6隻の新型貨客船を投入。
サンフランシスコ航路に浅間丸・龍田丸・秩父丸を。シアトル・バンクーバ航路に氷川丸・日枝丸・平安丸を投入しました。
平安丸は、氷川丸型の3番艦です。 そして平安神社の名前から名づけられたものです。
シアトル航路は荒天が多く、それに耐えるため外装甲厚を通常10mmの所、15mmとし、船底も客船としては珍しく2重船底としました。
就航後は、日本から生糸,日本茶,綿製品,玩具などを運び,北米からは屑鉄,銅,亜鉛,ニッケル,牛皮,航空機用特殊木材などを運びました。
1941年8月シアトル港に入りましたが、日米関係が悪化。帰りの荷物は空荷のまま出港。 これが戦前最後のシアトル航路となりました。
1941年10月に日本海軍に徴用され、特設潜水母艦に改装。 1941年12月20日第6艦隊、第1潜水隊に配属。
水艦乗組員の休養,弾薬や燃料,食料の補給などを行いました。
1942年には輸送任務にも就き、1943年のキスカ島撤退作戦にも参加成功させる。
1944年2月17日トラック環礁で航空機の爆撃に被弾、翌18日に沈没しました。
|