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アキュレラウロ  MS Achille Lauro  

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建造

1946年11月9日進水

就航

1947年12月2日

造船所

Koninklijke Maatschappij

所有

Netherland Line

船籍

 

総トン数

23,629トン(改装後)

全長

192.8m

全幅

25.5m

全高

 

喫水

8.6m

速力

巡航22ノット 最高26ノット

機関

ディーゼル主機×8   27.000HP

 

2スクリュー

定員

約740名

乗組員

400名

退役

1994年11月30日

 

 

 

 

   アキュレラウロ の航跡  

 

  1947年〜1964年 1947年にロイヤルロッテルダム·ロイドのWillem Ruys」として就航。12月5日に処女航海を始め、東インド諸島ルートのライナー

   として就航。

  1953年に紅海で、Netherland Lines,のOranje」と衝突。人的被害はありませんでしたが、損傷修理後、ロイヤルロッテルダム・ロイドは、この船の売却を

  決めました・

  

  1959年Wilton-Fijenoord shipyar」造船所で改装をされ、キャビンの改装とエアコン機器の装備、スタビライザーの装着も行れました。d

  1963年に「Greek Line」に売却され、イギリス〜地中海航路に就航。しかし採算性が悪く1964年にロッテルダムに係留される。

 

  1965年にFlotta Lauro Lines(現MSC Cruisce)に売却決定。船名も「Achille Lauro」と変更。 ジェノバ〜シドニー航路に投入。

  しかし、8月29日の爆発火災事故で1966年4月まで修理のためドック入り。

  このときに船体が青色に、また特徴的な高い二本煙突に変更され、6年間人気のある船として活躍。

  1972年5月19日、ジェノバでメンテナンス中に再び火災事故が起こり、12月まで運行停止。

  1974年4月28日ダータネルス海峡で貨物船「Youssef 」との衝突。貨物船「Youssef 」は沈没1人の死者が発生。

 

  1981年にまた火災事故が発生、1982年にはFlotta Lauro Linesが破産し、テネフィラに差し押さえのため係留。

  1985年にChandris LineとFlotta Lauro Linesが合併。 1985年10月7日に10日間のクルーズ行いましたが、パレスティナ解放戦線を表明する4人の男に

    エジプト沖でシージャックされました。

  刑務所に拘留中50人のパレスティナ人の解放を要求。アメリカ人観光客を殺害。シージャック犯の要求を呑み船は開放。

 

  1994年11月30日にソマリア沖で火災が発生。3日間炎上して、1090人の乗客と乗組員は避難。3人の死者が出ました。

  そして、Achille Lauroは12月2日に沈没しました。

 

  

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